ほそぼそと生活する管理人のどたばた劇。https://mizcocy.wixsite.com/uamo (旧 http://uamo.com)の「日記」コンテンツ。// 本家サイト「SolemnAir」
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ちょっとばかり。
ちょっとツイッター落ちしてたりするわけですけども。


最近、努めていいところ探しをするようにしています。
他人も自分も世界も。
嫌なことを思ってしまって感じてしまっても
すぐに逆のほうから捉えようと考え、意識します。

そうするとなんだか
自分が、
ちっさいことで苛立ってばかりだなとか
あらさがししたり、嫌なことばっかり感じて生きてんだなって思います。
でもそれは小さなことにも気づけるってことだよね、とやっぱり逆に捉えて
自分を嫌いにはならないようにします。

努めています。
理由は明白、自分を変えたいからです。

というか事実、逆の視点で見れば
むしろ自分にとっていいことばかり、
力になるようなことばかりなのに
それらを全て自ら取り零していってる気がしたからです。


そことは別件ですが、
気落ちしている部分があるのは確かです。
でもその気落ちの理由をうまく言えません。

何かを失ったとかではありませんし、

毎日行うことの中で、
具体的な事例に反映しなかったとしても
評価されるべきところのされるべき範囲で評価はされています。
その面で言えばタイミングは合わなかったとしても
正直、外観上充実しているとしか言いようがありませんし
事実、求められる程度の責任感と、充実感をもって臨めているのは確かです。

いくつか課題を落としていますが
それは次がんばれる類のことですし
そもそも課題は目の前のことを消化する手助けとすべくやっていることなので
目の前をおろそかにしてまでそちらに注力すれば本末転倒だと割り切っています。



焦燥感もなければ
具体的な嫌なことがあるわけでもなく
来年度からの環境の違いは多少出るとしても
それも新しい体制で新しい出会いがあることだと思えば
どこかわくわくすることでもあります。


けれど不安感が占拠する瞬間があります。
無常に過ぎていく時間の一つ一つが無性に哀しくなるときがあります。


無理してないか、No
がんばりすぎてないか、No
ただのわけのわからない感傷としかいえず、
モチベーションが下がっているわけでもない。


ただ少し、情報に疲れているというのはあると思います。
知らない人たちの知らないことを浴びて
知らず知らず疲れていっているのではないかなというところはあります。


女性差別、男性差別、ジェンダー差別、社会の問題、
いろんなことをいろんな人がいろんな形で考えて
いろんな言葉にしています。
それはもちろん自由です。

でも、注意喚起や、批判は必要ですが
感動感動感動話、批判批判批判話、
その振り子にちょっと疲れてしまった気がします。

発信者がどうのとか
受信側がどうのとかそんなことが言いたいのではなく
人は自分の周りで、自分が捉えられるものを
都合よくは無視できない気がします。

関わったものを関わらなかったことに、は
私にとって非常に難しく
記憶しなくていいことまで記憶して
心をつかわなくてもいいようなことに
心を動かされてしまうことは
もう典型的に向いてないのだなと。

要するに、やっぱり情報疲れを引き起こしているのだと思います。

加えて、現実世界での本当に触れる世界のことが優先なわけで
とにもかくにも、なんだかわからない状態の中に自分がいて
うまく言えないのです。
無力感を感じているわけでもなく。


ただ、
わたしにはそこが必要だったとしても
わたしはそこに要らない気がして
どうも何も言えなくなってしまったのは確かです。

それを(無意識にでも)確認する現代にありがちな行為も
めんどうで嫌な行為の気がしてきて
状況的には何もない状態なのだから
「心配しないでください」などと宣言するのも変な話で
そもそもそれは無意識に心配してくださいと同義ではないかなどとも思ってしまうわけで
そこんところを考えることもめんどうですし
反論を考えるのも疲れてしまって


まあ、結局何も言えないですよね。
でも気にしてくれる人が皆無だとは思ってないわけで
わざわざこうですよというのは上述の通りで
袋小路に入った挙句
とりあえず必須のPC作業をやる間にちょっと久々にブログなぞ、と思い至ったわけです。



2018年度に創作復帰と言っていましたが
どうなるかは蓋を開いてみないとわかりません。
周りが変わることが決定したからです。
わたしの立ち位置は変わらないまま。


ただ、過ごすこれらの毎日が、経験が
無駄になるはずもなく
自分の中に積まれていくかと思うと
とても楽しみな部分があるのは確かです。


自分には絶対向かないことだと思うようなことが
将来的にはかかってくると思いますし
既にその見通しですが
前の自分ならもうそれだけで今の場所を捨てただろうなと思います。

けれど嫌という言葉とはちょっと違って
怖いけれどもそれはチャンスではないかというのが今の自分の思考で
どうにも妙な心もちです。

感覚的にはしないで済むならしたくないんですが
やってみてダメなら考えればいいかなというのもあります。
「向くか向かないかは置いてみないとわからない」という考えのもとにそうなるなら
「置かれてみないとできるかどうかわからないのでやってみましたができませんでした」
というしかないかなと思います。
それはわたしの立場では、責任感とは別の問題だと思っていますし
現状、わたしを動かす側もわたしの立場にそれは求めていないからです。

怒られて叱られて評価が下がっても
そこには向かなかった、それはできなかっただけで
自分が無価値になるわけではありません。
他にできることがたくさんあります。
けれどできるかどうかはやってみないとわからないことがたくさんあります。


きっとどこへ行っても同じ。
どんなに遠くに行ったって
どんなに違うことを始めたって
わたしがそのままである以上は
わたしの捉え方はそのままわたしでしかない。


「逃げる」という単語を使っていないのは
それは別の話だからです。
これはわたしのブログなので自分のことを書いています。
逃げるの定義や、それがどうかという話は全く異なる話で
今のわたしの問題点ではないからです。

自分に納得がいくか、自分が今もう壊れる寸前にいるか、自分がどうしたいのか
その辺りのことは千差万別で
どの道がいいも悪いもなく、万事塞翁が馬です。
少なくともいまのわたしはそう思っています。
数年後のわたしが真逆のことを言ったとしても。



みんなが元気でつつがなく
おいしいご飯が食べられて
安心して眠ることができて
笑って働ければ本当に幸せだなと思います。




耳を塞いで
目を閉じて
口をつむって。

わたしは四角い箱の中に生きているわけではなく
毎日変わる風の中にいて
そこで世界の音を聴いて
さまざまな、本当にいろんなものを見て
たくさんの人といいことも悪いことも話して

営みの中に生きているこの気持ちをうまく言えずにいる。

JUGEMテーマ:日常。



posted by uamo | 00:33 | 日常 | - | - |
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