ほそぼそと生活する管理人のどたばた劇。https://mizcocy.wixsite.com/uamo (旧 http://uamo.com)の「日記」コンテンツ。// 本家サイト「SolemnAir」
<< 女子力という前にもう女子ではない気がする。 | TOP | とりあえずちょっと思うところあるので。 >>
数と形と世界の不思議と。
多分、以前にも書いているんですが改めて。


私は数が好きです。
算数や数学が好きということではありません。
計算や式が得意というわけでもありません。

数が、好きなのです。


国語と算数は全ての基盤だと教えられて育ったし
成長してもそうだなと感じているので
文系や理系に分けて考えることはあまり好きではありませんが
文系のコースを卒業しました。

得意かそうでないかといえば
「数学が苦手ではない」という表現が正しいかと思います。

もともと算数も数学も嫌いではなく
好きな教科ではありましたが、
数について、考え、好きになったのは社会人になってからです。



とはいえ、なにかについて詳しく深く知っているわけではなく
ただ数の持つ特性というか、個性について考えてしまうのです。


例えば
三角形の内角の和は180度です。
これはどんな大きさのどんな三角形でも変わりません。
なぜ?

学校のグラウンドいっぱいに描かれた三角形でも
顕微鏡でしか見えないようなプレパラートの上の三角形でも
180度です。
なぜ。

表面の大きさはどんなに変わってしまっても
本質を同じとする、ということなのでしょうか。

さらに一辺が同じものとして
三角形同士を足すと四角形になります。
四角形の内角の和は360度です。
これも大きさ、形、関係なく四角形であれば360度です。

さらに一つ角が増えるたびに180度ずつ増えていきます。
それはまだ納得がいきます。

限りなく角を増やしていって
内角の和はその度に180度ずつ増えていくはずです。
そして限りなく円に近づくはずです。

なのに、全ての角を削ぎ落とした円は360度です。
なぜ。
角などないのに、角度ってなに。
円は何者なの。

直線は180度です。
角などないのに、角度って(略)

ならば直線と直線を足したら360度になるはずです。
理屈と計算では。
けれど直線と直線を重ね合わせる形で足す時、
それはどう足掻いても180度のままです。
平行線は180度のまま、交わりません。
(リーマン球面や射影平面の話はちょっと小皿に置いておきます)



さらに言えば
正三角形は全ての角が60度です。
正四面体になるとさらに意味がわからないほど全てが60度です。

そして
世界を構築する要素の一つ、垂直は90度です。
それがなんだと言われそうですが
90度と60度、三角形の内角の和にはあと30度足りません。

90、60、30。
おそらく見たくもない人もいると思います。
全て30の倍数です。

この30度にいったい何の意味があるのか、
とにかくなににおいても「3」がキーなのだと思わずにはいられません。


管理人は三角比が苦手ですし三角関数の意味もわかっていません。
誰かが与えてくれた公式に代数を入れて解けたふりをしてきただけの大人です。
解き方の技術だけを身につけて、本質の理解をおいてけぼりにしたままです。


けれど
三角形を語るうえで30、60、90が重要、
四角形を語るうえでも三角形が重要であり、360度もまた30の倍数である
円を語るうえで前述二つが重要である
という気がしてなりません。

角があるものに関しては
絶対と言っていいほど
素因数分解の結果(この言い方は便宜上)は、三角形と四角形です。


そしてこの素因数分解というものが
そもそも数に対しての印象を覆したのです。

素因数分解の定義は専門家に任せるとして
自分の中でのざっくりしたものとして
「細かく単純なものにばっさばっさ振り分けていく」
という感じです。

8なら4×2をさらに細かく2×2×2、というように
とにかく細かく細かくもうできねえよ!ってくらいに
千切っていく行為だと思っています。

素の因む数に分解していく、ですから。

そして素因数分解が全ての計算の根っこにあるのではないか
というようなことを感じたのは大人になってからでした。


18×24
が暗算ですぐにぱっとできるなら
もう少し他の人生だったと思います。
計算は遅いですし、筆記しないと解けません。
けれど48×9ならぎりぎり目で見ながらであればできるかもしれません。
450-18をしますけれども。
24×8+240でもなんでもいいんです。
答えは全部同じ432です。


そう、理屈が合えば全部同じ答えになるんです。
どの道を通っても。

そして432の素因数分解の数と
18の素因数分解の数+24の素因数分解の数は同じです。

どんなやり方をしても
2を4回かけた上に3を3回かければ432です。
いうなれば2の4乗+3の3乗が432のレシピです。
少なくとも私にはそんな感じで映っています。


大人になるまで気づかなかったのかよ、と笑われるかもしれませんが
こんな見方はしていませんでした。


素因数分解のすごいところは
どんなに大きな数でも整数であれば
シンプルで小さな数に還元されるということです。


そして
辿りついたのが一桁の数でした。

1から9までの数で
素数は2、3、5、7の4個です。
そこに素数にならないならなんなんだよおまえという1が加わって5個の数。
素数の定義についてはこれまた専門家にお任せして
ざっくり言えば1とその数以外で割れない自然数です。

1は、おそらくですが
少なくとも乗算においては「ある」という事象を返すだけの媒体なのかもしれません。
0が「ない」という事象を返す媒体であるように
数ではなく記号に近いのでしょうか。
0は値を持っていませんから正確には数ではないのだと思います。

そこは研究者でも専門家でも理系ルートの学生でもないのでさっぱりわかりませんし
詳しい方にお任せします。
とにかく、
乗算と加算を合わせればそれらの数で全ての数が分解できると思います。
どんな数でも、一桁の数に帰結します。

なんてこと……!


さて、数に苦手意識がある人は既に読んでいないと思いますが
私が書きたいのはここからです。



0、1、2、3はちょっと私の中で特殊です。
0はもうその性質上、他の追随を許しませんから格別席です。

1もまた、その性質を真似できるものは他におりません。
いいですか、1は(乗算の時は)相手の姿をまるきり映すのですよ。
己の本当のところなどなくしてしまったかのように。

2は1+1です。
1がもう一人と、手をつなぐだけで全く違う世界が広がります。
「割れる」からです。つないだものは解くことができるからです。
けれど彼らは基本的にパートナーを放しません。
彼らは1ではないからです。

3は他の3つの数と比べて平凡に見えますが非凡です。
理由は1+2が3だからです。
少しいびつなんです。
1+1+1と書くと私のこの気持ちは伝わらないと思います。
なんとなく、1+(1+1)なんです。
彼らは割れないんです。
片方にパートナーがいないから。
けれど一組を内包しているんです。
そこが3の特殊性だと思っています。


そしてそれより大きい数になると
4は2+2ですし
5は2+3です。
6に至っては1×2×3=6、1+2+3=6という完全数です。なんだこいつ。
その上はいわずもがな。



0,1,2,3で世界の説明ができるんじゃないか、
そんなことさえ思ってしまいます。
けれどそんなに単純なもんじゃねーんだよとあしらってくれるのが円周率です。


数はわかりやすい。
ただ終わりが(多分)ない。

円周率は「円周率」や「パイ」、「π」、「約3.14」「およそ3」
という「言葉」「記号」でしか表せません。
数字では未だ終わりが見えないからです。


そして地球は丸い。
月も丸い。
球体の上に住んでいて、
計算に円が必要だという世界にいて
私たちはその数の終わりを知らない。


なぜ。
三角形も四角形も円もあれほど説明ができるのに
肝心な円の面積や円周を出すための鍵が、
そこに在ることはわかっているのに届かない。


私はそういうところがたまらなく不思議で
たまらなく好きなのです。


三角形も四角形も1と2と3の乗算です。
30、60、90、180、360。
そして時計は12時間ないし24時間。
暦は12か月。
還暦は60年。


6は完全数です。
圧倒的に全てが6の倍数である気がします。
その6は1,2,3に帰結します。



世界には数があふれています。
それを数として認識していなくても
数がなにかを形成していることは雪の結晶などでも自明の理です。

わたしという人間を1とカウントし
あなたという人間を1カウントする。

数はもっと抽象的なところで具体的におそらく世界を構築しています。
だれも読み解けない演算で、あらゆる物理が回っています。
しかし地軸が傾いている理由も
日々浮き沈みがある感情の変動も
値ではわからないまま世界を動かしています。


数と言葉の認識は重要だと思っています。
事象を理解する手助けになるからです。


そして数でも表せない言葉にもならないようなものたちが
まさに事象そのものなのだと思っているのです。



自分を素因数分解してみる。
好きと嫌いと喜怒哀楽。
その複雑な演算結果が今日の私。


その値はわたしという変動数。
微分であり、積分であり、虚数を持ち、マイナスのつく絶対数。
可変数であり、割り切れる時があり割り切れない時がある。
過去/未来かもしれないし、現在/現在かもしれない。



そして数などない場所で自分を考えてみる。
好きと嫌いと喜怒哀楽。
その簡単な心抱えた今日の私。


単なるわたしというひと。
文字も値も数も関係なくただそこに転がっている事象の一つ。
時間軸の概念すら細胞以外は忘れていて
今としか面していない。



そんなことを考えながら
今日も△□○を不思議不思議と騒ぎ立てて
一日を24時間で計算して、そろそろ寝る時間というところに終着。



なお、くどいほど書いているが
数学者の式もプログラミング言語も物理学者の式も音楽家の楽譜も
芸術家も哲学者も言語学者も
全て根源は同じところに起因していて、
表現ツールが違うだけなのではないかという気がしている。



そんなところで、ではまた。
あ、リーマン球面もロマンの塊だよ。
平行線のはずが交わってしまった、とか
互いの極地を通り抜ける手段は無限だとか
世界は謎とあらゆる鍵に満ちている。
posted by uamo | 22:43 | 日常 | - | - |
Search this site


◆http://uamo.com/
◆MASTER:MizcoyUamo
◆MAIL:3lovers[atmark]uamo.com

THANKS!DANKE!



BACK TO THE HOME