ほそぼそと生活する管理人のどたばた劇。https://mizcocy.wixsite.com/uamo (旧 http://uamo.com)の「日記」コンテンツ。// 本家サイト「SolemnAir」
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卒業できない夢の高校。
私は夢の高校に通っている。
と書くとどんなところだという話だが
正確には睡眠時に
高校を卒業できない夢を見続けている。

どうしても出席日数と単位が足りなくなるし
通えなくなるのだ。
通えなくなる理由はよくわからない。
遅刻が続いたり学校へ行くのを忘れていたり。
気づいたら取り返しがつかなくなっていたり
とにかく辞めることもできず、
しかし卒業できない。

この夢は定期的に見る。
私の夢はあらゆる記憶がごちゃ混ぜになって
あらゆる矛盾や有り得ないことも
普通に当たり前のようにまかり通るので
(空が飛べたり校舎と家が合体した店があったり)
通っているのは現実に通った場所ではない。


私はずっと、
高校時代をやり直したいと思っていた。
社会人になって5年くらいは
強くそう思っていたし
高校三年間は黒歴史だった。


外界を遮断し閉鎖的に
後になってみれば
まるでなにか違う人間の皮を被っていたような感覚。
実際には遅刻早退欠席は多々あったものの
不登校でもなくいじめにも合わず
「ただ通っていた」。

しかし幼稚園に入る前からの記憶の線上で
この三年間の記憶はひどく曖昧模糊で
小学校の記憶よりも抜け落ちている。


授業は好きだった。
友達もそれなりにいた。
イベントごともあった。
部活も引退までやった。

けれど
自分はただ流れていた。
思春期特有なのか
ただ空っぽの形骸が川を流れていただけのような。

ずっとその時間を
取り戻したい
やり直したいと強く思っていたし
囚われていたし縛られていたし
捕えて縛っていた。

だからそんな夢を見るのも当たり前だと思ったし
夢でまで縛られていることにうんざりもしていた。



ところが、だ。
いつからかな。
前の職場で身体をひどく壊して
半年間、社会から完全に離れた。
その時のことはこのブログにも残っている。
それが約三年前のこと。

その休養が終わる時には多分、もうなかった。
あの妄執も偏執も。
それに気づくことさえ遅れた。


いつの間にか
変なこだわりも自分の中の確執も形を変えていて
誰に何かを言われたわけでも
なにがどうこうしたわけでもなく
ただ、すとん、と自分の喉元を過ぎて
消化されていた。



今、振り返っても
もう、なにがそれほどまでに
取り返したかったのか
なにがそんなに認められなかったのか
その感情も感覚も当事者のようには思い出せない。
体感として引き出せない。


結局は自己否定の塊で
過去に固執して、
現在を潰して未来を道連れにしていたなと
そう思う。
それがいいか悪いかは自分が決めることだし
他の誰かが過去をひきずっても
とらわれていても
それは、それでいいかどうかは
その人が決めてその人が噛み砕いていくこと。
いいも悪いも、他者には主観的には決められない。
(客観的にそれを決めるのは単なる周りの意見だ)
私はそう思っている。


そして数年前に
私は夢の中で確かに卒業証書を受け取った。
ようやく卒業できた、と
呟いた気がする。

ところが、だ。
久しぶりに卒業できない夢をみた。
それがちょっと
どうも様子がおかしい。

社会人学生で
仕事に行くから日数が足りずに卒業できないだとか
仕事と学校どっちに行こうかとか
卒業できない理由が変化した。
夢というものはおもしろい。

高校へのこだわり、というよりも
そこにこだわっていた自分、を形にしたのかなと思う。
夢の中で私の気持ちも行動も違ったものになっている。
前のような
焦燥感でも悲愴感でもなく
物理的に解決できないけどどうしようかな、のようなスタンス。


私はまだどうやら卒業できないらしい。
なので夢の中で長い長い高校時代をやり直しているようだ。
授業を受けたり友達と遊んだりのシチュエーションはない。
朝、制服に着替えて学校に行くか。
その日数が足りるか、そこがメインで繰り返している。
私はまだ通わねばならないらしい。



あの妄執が晴れた理由は
抽象的に明確だ。
私はずっと
思い通りにできない自分を
思い通りにできなかった自分を
自分の歩いてきた、理想とかけ離れた結果を
肯定したくてたまらないのに
否定しかできずにいた。
きっと「いま」が見えていなかったし
見えているはずのものを
見えないようにしてきた。
(見ないようにではない)


いいか、わたし。
どこまでいってもわたしはわたしだ。
自分が逃げること
逃げたいこと
立ち向かいたいと思っているのに
立ち向かえないこと

逃げてもいい
投げ出してもいい
そのうち
それらに向かえる日が来るかもしれない
向かい合わなくてもいいのかもしれない


だがな、わたし。
おまえが立ち向かいたいと思っていることは
何処に行っても
何をやっても
どんな環境の中でも
決まって自分が逃げ出したくなるような場面で
自分が立ち向かいたいと思ってしまうものだ。

わたしは、わたしなのだから。

今が無理なら遠回りしてもいい。
諦めることも休むことも
逃げることも投げ出すこともなにもかもが自分の決断一つだ。

その決断を許せるかどうかは
自分が自分を許せるかどうかは
自分の在り方ひとつだ。


自分がもし
嫌だと思うことに
本当はそれをやるべきでやらなければならないと
そこから目を背けるような自分が嫌で
逃げ出すことにうんざりするなら
それが原因で
自分のその決断を嫌なものに変えてしまうと思っているなら

多分何処に行っても
それに面したほうがいろんなことがはやい。



多分、要すればこの辺りと結びついているんだと思います。
いろんな人がいるし
いろんな性格があるし
思考もなにもかもが十人十色ですから
これがいい、とか
正しい、という類いのことではないのだと思います。
精神的に無理をするとかそんな話とは少し違うのです。

自分にとってはこの辺りのことが
キーだったんだろうなと思っているだけのことです。



本当に自然にすこん、と抜けた感じで
高校をやり直さなくたって
今の自分が毎日をやり直しているようなもんだなって。
そんだけのことだなって思っています。
思えるようになったというのもおかしいし
思うようになったというのも少しずれます。
ふっと後付けで考えてみたら
いつのまにかそう思ってた感じ。


自分を意図的に納得させることは
一番難しいことだと思います。
頭で理解していても
感情は別物だからです。


私は学校という空間がとても好きなので、
もしかしたらそれで夢にみるのかもしれません。


夢の中の学校で
私は何を学ぶのでしょう。
「である」口調で始まったこの記事が
「ですます」口調で終わるこのどうしようもなさが
なんとかなるのでしょうか。


言うほど嫌なことには立ち向かえていませんし
逃げることも多々ですが
できない理由や
やらない理由を
あれこれ考えることはなくなりました。
どんな言い訳しても
自分はそれをやらないのだから。
この辺りの考え方は
仕事と密接な関係です。

また改めて
こことそこが変わらない話を書けたらなと思います。

ではまた。
posted by uamo | 23:15 | 携帯からちょこっと。 | - | - |
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