ほそぼそと生活する管理人のどたばた劇。https://mizcocy.wixsite.com/uamo (旧 http://uamo.com)の「日記」コンテンツ。// 本家サイト「SolemnAir」
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計算盤でお人好しを踊る。
「お人好し」と言われたことについて
ざっとその内情を書いて整頓してみようと思う。


そもそも「あの人は優しくしてくれる(意訳)」
と言った私への返答が
あなたはお人好しね、である。

その相手は腹黒い計算の上で
そうしているだけなのだ、
と相手は言った。

しかし、だ。
そんなことはわかりきっているのである。
学校でもなければ
慈善事業でもない。
友達でもなければ家族でもない。


自己利益や損得勘定で上手く立ち回る人
上手く、立ち回らずにいる人。
そこのところで回している部分があって
そうである人と
そうでない人がいる。

この数年間で見てきたものは
とにかく自衛せよ、という
社交技術、処世術だった。


さて、私に優しくしてくれる人がいて
その人は私の評価と密接につながっている。
つまりは私がよくできれば
その人にも益がいくし
私ができなければ
その人には損になる。
そんな関係にある。

そして優しく教えてくれるし
私に気をつかってくれる。
それは自衛しているだけだ、と
言われれば
確かにそうだろうなと頷く。

しかし。
そんなことはわかっている。
それでもその優しさがありがたくないかといえば
はっきりとありがたい。
どんなところに基いていても
その行為は優しいと私は感じている。

その受け取り方に
「この人はそんな(損得勘定なんかで動く)人ではない」
などという思考は入っていない。
「(損得勘定であったとしても)優しいなあ」
である。


ここで
お人好しの定義とはなんだったかと考えてしまうのである。


その気持ちが本当かどうか
私のためになのか
自分のためになのか
そこはさておき
私のためになっているなら
私には万事オーケーだ。

こんなことを考えている私だって充分に腹黒い。
それで相手のためにもつながるのであれば
なおさらそれはよいことだ。


「都合のいい人」にされて
「貧乏くじを引く人」にされるとして
「都合よく使われてるね」と言われても
それで自分になにが害だろうかと考えてしまう。
めんどうごとをおしつけられて、とか
その部分だろうか。

けれどその経験値は自分に残る。
私はその対価を見えない消えない形でもらっている。
そこでめんどうごとを片していけば
一部好感度(表層上)もあがる。
自分のスキルもあがる。
ストレス耐性も多少のびる。(多分)

そもそもそれをめんどうだと思っていなければ
利益のみだし
その上みんなからは同情される。


はて。

いつだったか「貧乏くじを引いたね」
と言われたので
「いや、貧乏くじとは思ってない
当たりとは思わないけど
損ではないし貧乏くじではない」
と返したら大層驚かれた。


はてはて。


確かにめんどうごとは嫌である。
受けたくないやりたくない。
誰かがやらねばならないことで
なぜかいろんな理由をつけて指名されるとして。

誰かがやらねばならないなら
私がやらなくても誰かが必要だ。
誰もがやらないなら解決しない。
それは果たして貧乏くじだろうか。

では
その貧乏くじを誰かに圧しつけるのだろうか。
見えない圧力で
誰かに貧乏くじを引かせるのだろうか。
誰かがやれば解決することを。


もちろんできることとできないことがある。
逃げたいことと引き受けてもいいと思えることがある。


けれど最近
逃げたところで竦んだところで
(自分が)なんにも変わりやしないんだと
思うようになった。
誰もそんな貧乏くじをパーフェクトにやれとは期待していない。
失敗しても平均点でも
誰かがとりあえず受け皿になってくれればいい、のだろうと。
なら受けてもいいやと
自暴自棄のような開き直りのような
前向きに見えるような
そんな割り切りかたをするようになった。
実際、逃げ口上を考えるよりも楽だと思う部分もある。
(私は逃げ口上が苦手で直球しか言えない)


そして都合のいい人につながっていくわけだが
それがいい人だということでもなければ
優れた人だというわけでもなく
都合のいい人は都合のいい人である。
頼みやすい、圧しつけやすい。
断らないイエスマン。


それは、悪名だろうか。


信用とも信頼とも結びつかない
ただの便利な人扱い。
みんながみんな、本当にそれだけだろうか。

損得勘定だけで
その他は全てが虚構の嘘八百だろうか。

そうだったとしても
それらは自分にとってマイナスなんだろうか。



そんなことを考えながら動いている私は
「お人好し」
なんだろうか。


すなおに信じているわけでも
ほんきで誰かのためにやっているわけでもない。
損得勘定だけで動いているのは私かもしれない。



そんなことをつらつらと感じながら
実際はできないことにはノーもいうし断りもする。

いつでも「誰か」になるわけではないし
いい人にはそうそうなれない。
お人好しにはなかなかなれない。


ところで
「あれはあなたのせいだよ」
と歓談中に大勢の前で強い口調で明言されたことがある。

相手に悪意などないし怒ってもいない。
自分自身も自覚していた事だったので
「そうなんです」
と返した。
そこに傷つくもなにもない。
ただそれだけ、自分が強く感じていたことを
たまたまその人が口にしただけだった。
私の中では他になにもない話。

ところが後日
他の人が責めるようなニュアンスで
「なにもあの場であんなことを
あんな言い方しなくてもいいのにね」
と私に言ってきた。

それを聞いて大層大層驚いた。
なんとまあ。
受け取り方は十人十色とはよくいったもの。
気にしてはダメよと慰めてもらって
励ましてもらった私は呆然とした。


悪意なんかなかった行為が
なんだか悪いことにすりかわる瞬間をみた気がした。
どちらにも悪意などないのに。


私にはその捉え方はなかった。
どちらの見方がいいとか悪いとかそういうことではない。
励ましてくれた人はそれについて
本来そうすべきではないと感じただけだ。

私は誰かの思惑を上手く図れない。
日常そんなことがままある。
受け取り方の相違。
誰が悪いとかそういうことではなく
なにかよくない方向になってしまう結末。
表層上の言葉を鵜呑みにしてしまう。


不思議だなあ、と今日も周りを見渡して、
私はここで踊っておけばいいかしら。
みんなの計算の上で踊っておけばいいかしら。
そんな計算と損得勘定。
それでいったい
お人好しはどこにいるのかしら。
そんな日々。


貧乏くじも数を引けば当たりを引くよ。
表層上の感謝でも
嘘八百の感謝でも
ありがとうは、
悪口よりも嬉しいし好きだな。

そんな僻地に着地して
単におしに弱いだけかもしれないな
というところで終結。
ではまた。
posted by uamo | 22:30 | 携帯からちょこっと。 | - | - |
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