ほそぼそと生活する管理人のどたばた劇。http://uamo.com/の「日記」コンテンツ。// 本家サイト「SolemnAir」
2018年もよろしくお願いいたします


あけました。おめでとうございます。

12/29に舞台を観に博多に行ってきました。
12/28仕事からバスの夜行便だったので
体力が皆無な私としては不安要素だらけでしたが
なんとか行けました。
一人で大きな街をうろうろするのも本当に久しぶりのことで
十年位前の神戸以来だったのではないかと思います。

今回は
落ちる気で舞台のチケット抽選に応募したら
上級席が当たってしまったということで行くことになったものでした。
この前の舞台の時に手当たり次第抽選に応募したのですが
見事に数回にわたり外れ、行けなかったので当たると思っていませんでした。
年末の冬コミ(冬のコミックマーケットという東京の大規模なイベント)開催日の
真逆の九州ならばどうだろうか、という頭があったことは確かです。
読みが見事だったのか単なる運なのか。

初めての博多。
県外に出て思ったことをいくつかメモ。

博多駅大きい。
だけどわかりやすい!
隣接する建物の中への早朝入り口がわからず
博多駅の外周をうろうろしていたら(駅の外を一周しました)
みかねたのか親切なおばさまが
「××はこの時間入れないから○○から回るのよ」と声をかけてくれました。
ありがとう……気持ちが嬉しい。
自分がストレンジャー過ぎて
おばちゃんが言ってること自体がわかんなかったんだけど。
○○ッテナニ……みたいな。

結局は駅のB1から入るということに辿りつき
入れたものの、行きたかった店は満席。
というわけで近くの軽いモーニングが食べられるオープンカフェへ。
美味しいフレンチトーストが沁みる。

ホテルのチェックインまで時間があるが
仕事の疲れが取れていないため休みたくて漫画喫茶へ。
こういう時に本当に便利ですね。
個室タイプで寝転べるスペースを借りて仮眠。
ここで元気に観光できないところが残念なボディ。
お昼を取ってホテルに十三時に入りましたがやっぱり仮眠。
バスで寝れていないので仕方がないのです。
なおそれでもバスにした理由は
万が一大雪だったら飛行機や電車が止まると思ったからです。
金額じゃないんですよ……
数年前に島根は12/31に大雪が積もったことがありまして。
大千秋楽を見逃すことは避けたかった。

舞台は想像を超えて良かったです。
会場までの往復にバスを使用したんですが
バスを使う一般の人が多くて都会は採算が取れるんだなと感じました。
あと、みどりの窓口とかを見て
恩師が言っていた「都会の人はとても働いている」というのを感じました。
時間の流れが違うというか利用する人数が違いすぎて大変だなと思いました。

他には国際化が進んでいるなと感じました。
バスのアナウンスも日本語、英語、中国語、韓国語だったと思います。
ホテルの受付をしてくださった方もおそらく中国ご出身かなと。
朝のバイキングでの受付けはきれいな金髪のおねーさんで
イタリアかフランス系に見えたけどもアメリカかもしれない。
そこはわからないけどたどたどしい日本語ながらも
挨拶がとても元気でほっこり。

違う風が吹いているっていいなと思いました。

帰りは新幹線と在来線。
年末のため超混雑。
博多駅よりも岡山の在来線乗換口の殺到がすごかったです。


そんなこんなで今回のことを受けて
旅っていいなと思ったし
この金額でいろんなところに行けるんだなって思ったので
2018年はちょいちょい遠出をしようと企んでいます。
次はちゃんと休んで行って
地元ならではのお店とか巡りたいです。


というわけで。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ここがしばらく更新されなくても気にしないように!
2018年度は創作も少しずつ復帰していく予定です。
そこは別件と調整しつつ。
2017年度で課題が終わりそうにないので。

ではまた。
画像は博多駅のイルミネーション。
きれいでした。別世界みたい。
ところで旅日記とかつけたいなと思いました。

JUGEMテーマ:日常。



posted by uamo | 15:45 | 日常 | - | - |
がんばること、がんばりたいこと、がんばれないこと。


写真コンテンツ、多少修正しました。
新作もあがっていますし、埋もれていたものにもリンクしました。
一括ページに含まれています。


せっかくのブログですから
ちょっと普段ツイッターで垂れ流しているようなことを
だらだらと書いてみようと思います。



常々、軽く生きられたらいいと思うのですが
基本的にいろんなことを考え込んでしまう性格です。
というよりも普段作品に書いてあるようなことを考えることが好きで趣味なのだと思います。

世間一般の重い話、暗い話、というカテゴライズには少しだけ違和感があります。
私にとって生死に関することさえもが日常的、恒常的に考えることだからです。

いろんなことを考えます。
私は全てのことが一つながりだと思っていて
世界で断絶した切れた事象など一つもないと思っています。
異次元でさえ次元同士はどこかのポイント、
もしくは次元間のなんらかによって接触しているのではないかと。

「こんなことに意味などない」
というフレーズをよくききますが
意味など要るだろうか、というのが最近の個人的な見解です。
意味などなくても存在はするし、
存在に意味を持たせたいならそれは後付けの話だよね、と。

意味を与えられた役割とするなら、
誰に、何に、神さまに?
GIFT?ギフト?

社会生活の中での役割はあると思っています。
役割を果たすことで報酬を得て社会が機能するのだと。
※ここでの役割は物理的な話

しかし生まれた時に与えられる役割とは。
誰かの子供という役割、未来をつなぐ役割、いろいろ考えられるかもしれません。
ならば「その役割を果たせない」
というシチュエーションは存在するのでしょうか。
それは不思議な話だなと思うのです。


その人に決まった筋道があって、その通りになぞらえなければ
「役割が果たせない」。
なぞらえたうえでそこに「導かれた」のであれば
その人は、それが役割なのではないの?と。
それが意味なのではないの?と。


何がなんだかわけのわからない理屈をこねくり回した話になっていますが、
簡単に言えば

どんな結果になっていても
それがその人そのままで、
それがいろんなものが織り重なった上に成った者だよと。

その状態のものに、
意味とか価値とか役割とかそんな定義で
なにかを決めつける必要があるのかなと最近特に思うのです。

なにかに対して、意味の有無なんて判断基準は個々です。
価値も同じく。
相対的なものから絶対的なものまで、全てが広い目で見れば流動的なものです。

意味が有るからやる、意味が無いからやらない。
その言葉が妙に違う気がするなと思えてしまうので。


ただこれは宗教を否定する話ではありません。
誰かが何かを信じる思いを否定する意図でもありません。


文化はさまざまで、個々の思考など千差万別の権化です。
それがどんな形をとっていても、どんな内容のものでも
世界は包括しています。

形成するのはただ一つ。
同じ舞台となるこの(最も広い意味での)世界だけです。


なにかを害さねば成り立たないものもあります。
なにかを正義という名前にして、
それらでなにかを切り捨てていかなくては進めない場所があります。
そこが進むべき道かどうかもわからなくても
歴史の終着点など、最善点など誰も知りませんし
世界が望む世界の姿は、最終的に世界が叶えていくと思っています。


そして誰もが、そんな規模で物事を見ていたら足元は固まりません。



誰もが要って、代わりなどいない。
誰もが不要で、すげ替えがきく。

個人で見るか団体で見るか。


そんな視点の、ピント一つで話が裏返るようなことばかりを
どちらが正しいかと考えても答えは出るのだろうか、というところです。

で、結局はこんなこと考えなくても現実は流れる。
意味があってもなくてもいってもいらなくても、なにひとつ考えなくていいことでも。


そんなことをだらだら考えつつ、
がんばるのは、自分のためにしたほうがいい。
誰かのために、社会のためにではなくて、自分の幸せのためにその手札使ったほうがいい。
そこに誰かが含まれるかもしれないけど
ベースは自分だよ、と思う。

全員に平等に不条理な世界だから
明日が来るかどうかも運みたいなもので
細胞の結果一つだから

自分が納得するほうがいい。
それが難しいことでも、そこが重要なんじゃないかなって思う。

誰かのためにがんばる自分に納得しても、
誰かがいなくなった途端に瓦解するがんばり方はリスキーかもしれない。
全体を見れば自分の代わりはいくらでもいる。
どんな偉人でも、ここからいなくなって、それでも今日が回ってるのだから。



そんなことを思うのです。
とりとめもないというか、だらだら書き流したけれども、

要するにね。
そこに在るってことがとんでもないエネルギーなんだから
もうそれだけでいいんだよって思っているの。


その内容がどうであれ、それは個別の問題で
在るってことが、関与していくってことが、干渉していく事象が、
もうそれだけでじゅうぶんな話だと思うの。


存在って爆発的なエネルギーだから。
そのエネルギーでもって個別の幸せをもって進めたらいいなって思うんですよ。


そんなわけのわからない話。
ではまた。

JUGEMテーマ:つぶやき。



posted by uamo | 00:21 | 日常 | - | - |
TOP絵コンテンツ作成しました。


少しずつの修正ではありますが、
「散文」コンテンツの「灰降る死島」25個は全て修正が完了しました。
また「トップ絵」コンテンツを作成しました。
私はトップ絵として
写真も使用するし、文章も書くのですが
絵以外のものも含め、最初のページに置いた日付で格納していく予定です。


正直、見る人がいるかもわからないのに
なにやってるんだろうなと思うこともありますが
そもそも自己悦で始めたことで
このURLをどこそこに書いているからには
「ここ見れば私の作品があります」って言えるくらいには
整えようかなと。

あと単にそれで誰かの目に留まって
そのたった一度でも
いい力になったならそれはとてもすてきなことだなと思うからです。
一期一会。

あと「TOYBOX」ブログはもうしばらく使いますし
削除するかは正直微妙です。
あちらもなんだかんだで未収録のものが意外とあって
特にカテゴリー「なんとかかたちづくる」と「チップフレークス」と「自分定規」は
ほぼ未収録でブログ上にしかない状態となっています。

本にまとめて削除を考えて原稿化までしていたんですが
印刷の段階で頓挫して放置したので
いずれなんらかの形でまとめたいと思っています。
本当は紙媒体にしたいのだけど在庫抱えると物理の場所をとるので
オンラインとしてまとめてでもいいかなと検討中。

数年分のツイッターログを
ツイッターが保有しているところまで遡って
改めてまとめたいなという野望もありますが少しずつ。


昔の絵に色を付けてみたいし
小説を仕上げたい。
たいたいばっかでキリがないけど
少しずつ。

仕事をがんばるからには
自分の好きなことする時間を与えないと
わたしがしおれてしまう。



そんなこんなで、「刀剣乱/舞」っていうゲームしてたり
CSI科学捜査班っていう完結済みの海外ドラマみて
英語を楽しんでたり
けっこう今はいろいろできています。
健康に感謝。できる身体に感謝。
あと最近おいしいものを食べることが少し楽しみになりました。
これは大きな一歩です。
あまり食に興味がなくて空腹でも平気だった人が。

とか。
来週末は三連休。
実は都合で今週もだったんですが。

次は絵が更新できるといいなと思いますが
そろそろ10月の物理的課題が近づいてきたのでお預けかもしれません。


ではまた近いうちに。

JUGEMテーマ:日常。



posted by uamo | 00:02 | 日常 | - | - |
サイトを元に戻します。
サイト「SolemnAir]を元の状態に戻します。
2010年くらいにブログ形式にしたんですが、
なんとなく、周りがぶっ飛んで便利になればなるほど、
アナログで堅物で仕方ないなあってことをしたくなりました。

コンテンツを分けます。
写真、小説、絵、散文。
もう今は古いと言われる時代に流行った形に。

これを機に、
もうさすがにこれは必要ないだろうというものは切り捨てますが
文章などは今より真剣に取り組んでいて
今私が書くよりいいんじゃね……と思うものもある感じなので
だいぶ残ると思います。
絵もいまより拙くて下手なのに
真剣に取り組んでいたのが見えるので一部残します。
写真はいつの時代も好きな形にしているので
これはほぼ残ります。


コンテンツが巨大化していた分
修正に時間がかかりますが少しずつ直していきます。
後ろは本当に足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃなので。

来年度の創作本格再始動に向けて、
今年度の課題もこなしつつ、やっていけたらいいなあと思いますし
今年度課題に立ち向かっている分、
ストレス発散の場所が欲しかったみたいですごく楽しいです。

でも実は8月の課題は落としているので
次回の課題を拾おうと思います。
今年度は課題戦争なので次から次です。回る寿司のごとく。


少しずつ。
わたしはやっぱり
表現が好きだし、絵が好きだし、パソコン作業が好きだし、文章が好きだし
創作が好き。

と思えるくらいには、なにか大事なものが戻ってきた気がします。
元気が戻ってきたのかな。

とそんなこんなで、
しばらく表面上はさほど変わりません。

水面下でこつこつと。
こんな日が来るかもしれないと思って
サーバー上には全部残してありました。
過去の自分グッジョブ。
さすが自分の気まぐれをわかっている。

ではまた!

posted by uamo | 22:41 | 日常 | - | - |
ゲームがてら。
二月から更新していなかったこの日記でも書こうかしらと。
日記どころか月記ですらないけども。

ちょっとサイトの装いを変えたいなーと思っています。
昔に戻したいなと。
実は残ってるんですけどね。
一枚ずつhtmlでリンクしていったり
なんかないかなあと。

世の中がこれだけ激変していくのですから
あえてレトロに。アナログに。
なにも価値が無いような付加価値を。


といっても創作してないんですけどね。
今年度はちょっと違うことにチャレンジしています。
いろんなことを我慢、いろんなことを模索する年です。
思い通りに生きるってどういうことなんだろうなあとぼんやり。

正直精神的にはだいぶタフになりました。
というか肩ひじ張らなくなったし
適度に抜けるようになりました。
歳が歳ですから学習したってことでしょうか。

あと、ちょっと頑固の方向性が変わったと思っています。
他人に合わせることと、自分を捻じ曲げることの違いを得たかなと。
前のようにめちゃくちゃにうなずいたり全てに真剣に向き合うことをやめた気がします。
向き合わないといけないことに向き合うし、人類全部友達にはできないなと。
そうしたら逆に前より真剣に向き合えてるんじゃないかなんてこともでてきました。

頑固は前からです。
屁理屈も前からです。


わたしはずっともうまえから、わたしです。


身体が動くっていいことだなあと思います。
心が運べるっていいことだなと。

そんなこんなで。
カナカナさんが鳴いて、ミンミンさんとジーコジーコが鳴いて、ツクツクホーシが鳴いて。
夏が通り過ぎようとしています。
暦上はとっくに秋。
何十回と過ごした秋。

けれど今年の秋は一度きり。
当たり前ですが全く同じ季節は二度とない。


毎日いろんなことを感じながら
人生の糧として美味しくいただけたらいいですね。

ではまた!気が向いたときに!管理人でした。



posted by uamo | 21:19 | 日常 | - | - |
岐路。
ちょっと人生の岐路だなと思う今日この頃。
やりたいことははっきりしているけども、
やらねばならないこととの折り合いがつかずにきたというか
そもそも20代のころから逃げ回ってきたツケと向き合う時が来たというか。

どこまでいっても自分は自分だから
どこまでいっても自分が向き合わない限り
自分の問題は解決しないんだろうなと思います。

60歳になったってきっと根本的には私のまま。

大人になるって結局、考え方を変えていくことだったり
過去を踏み台に解決能力を獲得していくことなのかもしれません。
もちろん結婚子育て介護、それらとは違う独身としての在り方
環境はまちまちだし大人の物差しもそれぞれなのだとも思います。


私はいま、とてもいい環境にいるのだと思います。
それは決して緩くは無くて体力的には今までで一番ハード。
社会の中で生きること、生きていく方法。
それを考えています。


以下ツイッターそのまま。
自分が忘れないために保存。

<ここから>
決着のつかない迷路は、もう少しで抜けそうです。
というよりも物理的に抜けないとどうにも動けない。
ずっと逃げてきたから、もうきっと向き合うしかなくて、
私はそうしないといつまでもスッキリと自分が成りたいような人には成れないし
在りたいような自分で在れないのだろうなと薄々。
どんな理由をつけて、どんなに正当化しても、
自分がそれに納得していないのも感じているし、
腑に落ちていないことにもどこか気づいている。
見ないようにして見えないと思おうとしているだけ。
それでは自分に満足なんかできない。
わかっていても、立ち向かえないことも、ある。

だけど逃げなかった時の自分の爽快感を知ってしまうとね。
自分に納得がいくってこんなに清々しいことなんだなと。
それは正直結果ではないの。
もっと精神論的なことで、
結果よりもある意味自分に莫大な報酬をもたらしてくれると私の場合は感じる。
逆にいえばそれほど難題ということ。
選択することの中身が難しいのではなくて、
対する自分の在り様が難しい。
そうありたいと思う自分に向かった行動ができるということは、
一種の快感だと思う。今回は具体的な話ではなくて抽象的なところのことね。
二極化した自分を抱えて、両方得られずにきた人の話。その他
「逃げることは悪いことだ」とは思っていない。
逃げることが大切なこともあるし、手段のひとつ。
けれども「立ち向かった時にしか得られない経験値」は確かにあると思っている。
どちらが良いとかではなく、
踏まえて、何かを秤にかけて決めていくしかない、と最近とても感じている。
今の自分をそのまま受け止めて納得がいく自分であればそのまま邁進すればいいし、
受け止められないなら納得がいかないなら、
それは自分が悪いとか思う前に、何が原因でどう対処したらいいか考えていくしかないのだと。
自分にも他人にも笑える自分で在れるように、さてどうしようか。

<ここまで>


近々答えを出さないといけないことなので
できる限りで前進していきたいなと思っています。
自分が自分を誇れるように。
自分の歩く道を信じられるように。


大人になっても迷路だらけで、でもちょっとそこがおもしろいなって思います。
人生は通り一辺倒ではないから、
救われるな、とも。


さて、次回はもっと明るいことが書けるといいですね。
ではまた。

JUGEMテーマ:日常。



posted by uamo | 21:47 | 日常 | - | - |
2017年が始まりました。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

というわけで料理スキル1の人間が、99の母の完全援護付きでお節を作りました。
3時間料理して直後に4時間寝込むところまでが仕様です。

そしてお雑煮もつくりました。
気候がおかしいのは私のせいかもしれない。



さて2017年の抱負です。
「健康に過ごす」は人生の抱負なのでおいておきます。

・やりたくないことを私生活においても優先してやる
・私生活においても遅刻しない
・TOEICは前回より1点でも上回るようにする
・うつくしい言葉遣い
・違う角度でのモノの見かた

趣味に関しては創作することに尽きます。
1週間に一度はブログの更新を行いたいですが
仕事で疲れ切ってしまうので掲げても難しい見通しになるなというところ。
意識するかどうかは結構重要だと思うのでとりあえず上5つを気をつけたいと思います。



新年初のトップ絵は
家族一同に年賀状使用を止められたものです。
呪われそうだとか言われた一品。
それではまた。
posted by uamo | 15:07 | 日常 | - | - |
とりあえずちょっと思うところあるので。
mixiを退会し、オフ活動用ツイッターアカウントをいったん削除しました。
創作屋をうたいながら非生産的毎日を過ごすことに疑問を抱き
虚弱体質の私にはフルタイムの仕事で毎日がいっぱいいっぱいなのですが
それにしたってちょっと、と思うところありまして。

中途半端な自分が嫌だなと思う原因がありまして、
ちょっといろいろと整理をしようと思っている次第です。


身体的には病院通いながらなんとかなってるし
精神的にもわりと元気なのだと思います。
ちょっと心身ともに疲れてはいるけれども。
嫌な感じのストレスとは少し違うので大丈夫かなと。




数か月ぶりに絵を描きました。
思うことを表現しきれないのである種フラストレーションがありますが
けれどやはり発散なのだなと思います。
楽しかったです。

描かなくては、書かなくては。
というのは私の場合は仕事ではないので、違う気がします。

ちょっとこの辺りの自分的割り切りが難しくて
なんかできたらいいなを
なにかをしよう、に変えたいなという狭間です。
ただ体は無理がききませんからいろいろと、もう、という感じではあります。



お肉ぶよぶようあもになってきたので
運動したいですね。
元来、運動は好きです。
破滅的に疲れやすく疲れがとれにくいだけで。
身体を思い切り動かすのは気持ちいいだろうなと思いながら

噂のあのアプリをいれて
帰宅時のみ3バス停分歩いているのでポケットに忍ばせて歩いています。

仕事が四月からパソコンばっかりなので
それは好きな作業だからいいんですが
眼精疲労や運動不足に気をつけていきたいなというところです。


そんなこんなで、ちょろちょろここを更新しようと思います。
コンテンツもなんとかしよう。
うん。


正直、もう少し現実を大切にしたいなってところです。
画面の向こう側ばかり見ていても、野菜も肉も魚も食べられないから。
そんな気持ちなんです。
なにかがいいとか悪いとかではなくて、
自分は、今はちょっと違うところに行きたいのかなと。


毎日を自分が大切にできていないように思うから
自分の毎日を見直そうってとこです。


それではまた。できれば近いうちに。

posted by uamo | 23:39 | 日常 | - | - |
数と形と世界の不思議と。
多分、以前にも書いているんですが改めて。


私は数が好きです。
算数や数学が好きということではありません。
計算や式が得意というわけでもありません。

数が、好きなのです。


国語と算数は全ての基盤だと教えられて育ったし
成長してもそうだなと感じているので
文系や理系に分けて考えることはあまり好きではありませんが
文系のコースを卒業しました。

得意かそうでないかといえば
「数学が苦手ではない」という表現が正しいかと思います。

もともと算数も数学も嫌いではなく
好きな教科ではありましたが、
数について、考え、好きになったのは社会人になってからです。



とはいえ、なにかについて詳しく深く知っているわけではなく
ただ数の持つ特性というか、個性について考えてしまうのです。


例えば
三角形の内角の和は180度です。
これはどんな大きさのどんな三角形でも変わりません。
なぜ?

学校のグラウンドいっぱいに描かれた三角形でも
顕微鏡でしか見えないようなプレパラートの上の三角形でも
180度です。
なぜ。

表面の大きさはどんなに変わってしまっても
本質を同じとする、ということなのでしょうか。

さらに一辺が同じものとして
三角形同士を足すと四角形になります。
四角形の内角の和は360度です。
これも大きさ、形、関係なく四角形であれば360度です。

さらに一つ角が増えるたびに180度ずつ増えていきます。
それはまだ納得がいきます。

限りなく角を増やしていって
内角の和はその度に180度ずつ増えていくはずです。
そして限りなく円に近づくはずです。

なのに、全ての角を削ぎ落とした円は360度です。
なぜ。
角などないのに、角度ってなに。
円は何者なの。

直線は180度です。
角などないのに、角度って(略)

ならば直線と直線を足したら360度になるはずです。
理屈と計算では。
けれど直線と直線を重ね合わせる形で足す時、
それはどう足掻いても180度のままです。
平行線は180度のまま、交わりません。
(リーマン球面や射影平面の話はちょっと小皿に置いておきます)



さらに言えば
正三角形は全ての角が60度です。
正四面体になるとさらに意味がわからないほど全てが60度です。

そして
世界を構築する要素の一つ、垂直は90度です。
それがなんだと言われそうですが
90度と60度、三角形の内角の和にはあと30度足りません。

90、60、30。
おそらく見たくもない人もいると思います。
全て30の倍数です。

この30度にいったい何の意味があるのか、
とにかくなににおいても「3」がキーなのだと思わずにはいられません。


管理人は三角比が苦手ですし三角関数の意味もわかっていません。
誰かが与えてくれた公式に代数を入れて解けたふりをしてきただけの大人です。
解き方の技術だけを身につけて、本質の理解をおいてけぼりにしたままです。


けれど
三角形を語るうえで30、60、90が重要、
四角形を語るうえでも三角形が重要であり、360度もまた30の倍数である
円を語るうえで前述二つが重要である
という気がしてなりません。

角があるものに関しては
絶対と言っていいほど
素因数分解の結果(この言い方は便宜上)は、三角形と四角形です。


そしてこの素因数分解というものが
そもそも数に対しての印象を覆したのです。

素因数分解の定義は専門家に任せるとして
自分の中でのざっくりしたものとして
「細かく単純なものにばっさばっさ振り分けていく」
という感じです。

8なら4×2をさらに細かく2×2×2、というように
とにかく細かく細かくもうできねえよ!ってくらいに
千切っていく行為だと思っています。

素の因む数に分解していく、ですから。

そして素因数分解が全ての計算の根っこにあるのではないか
というようなことを感じたのは大人になってからでした。


18×24
が暗算ですぐにぱっとできるなら
もう少し他の人生だったと思います。
計算は遅いですし、筆記しないと解けません。
けれど48×9ならぎりぎり目で見ながらであればできるかもしれません。
450-18をしますけれども。
24×8+240でもなんでもいいんです。
答えは全部同じ432です。


そう、理屈が合えば全部同じ答えになるんです。
どの道を通っても。

そして432の素因数分解の数と
18の素因数分解の数+24の素因数分解の数は同じです。

どんなやり方をしても
2を4回かけた上に3を3回かければ432です。
いうなれば2の4乗+3の3乗が432のレシピです。
少なくとも私にはそんな感じで映っています。


大人になるまで気づかなかったのかよ、と笑われるかもしれませんが
こんな見方はしていませんでした。


素因数分解のすごいところは
どんなに大きな数でも整数であれば
シンプルで小さな数に還元されるということです。


そして
辿りついたのが一桁の数でした。

1から9までの数で
素数は2、3、5、7の4個です。
そこに素数にならないならなんなんだよおまえという1が加わって5個の数。
素数の定義についてはこれまた専門家にお任せして
ざっくり言えば1とその数以外で割れない自然数です。

1は、おそらくですが
少なくとも乗算においては「ある」という事象を返すだけの媒体なのかもしれません。
0が「ない」という事象を返す媒体であるように
数ではなく記号に近いのでしょうか。
0は値を持っていませんから正確には数ではないのだと思います。

そこは研究者でも専門家でも理系ルートの学生でもないのでさっぱりわかりませんし
詳しい方にお任せします。
とにかく、
乗算と加算を合わせればそれらの数で全ての数が分解できると思います。
どんな数でも、一桁の数に帰結します。

なんてこと……!


さて、数に苦手意識がある人は既に読んでいないと思いますが
私が書きたいのはここからです。



0、1、2、3はちょっと私の中で特殊です。
0はもうその性質上、他の追随を許しませんから格別席です。

1もまた、その性質を真似できるものは他におりません。
いいですか、1は(乗算の時は)相手の姿をまるきり映すのですよ。
己の本当のところなどなくしてしまったかのように。

2は1+1です。
1がもう一人と、手をつなぐだけで全く違う世界が広がります。
「割れる」からです。つないだものは解くことができるからです。
けれど彼らは基本的にパートナーを放しません。
彼らは1ではないからです。

3は他の3つの数と比べて平凡に見えますが非凡です。
理由は1+2が3だからです。
少しいびつなんです。
1+1+1と書くと私のこの気持ちは伝わらないと思います。
なんとなく、1+(1+1)なんです。
彼らは割れないんです。
片方にパートナーがいないから。
けれど一組を内包しているんです。
そこが3の特殊性だと思っています。


そしてそれより大きい数になると
4は2+2ですし
5は2+3です。
6に至っては1×2×3=6、1+2+3=6という完全数です。なんだこいつ。
その上はいわずもがな。



0,1,2,3で世界の説明ができるんじゃないか、
そんなことさえ思ってしまいます。
けれどそんなに単純なもんじゃねーんだよとあしらってくれるのが円周率です。


数はわかりやすい。
ただ終わりが(多分)ない。

円周率は「円周率」や「パイ」、「π」、「約3.14」「およそ3」
という「言葉」「記号」でしか表せません。
数字では未だ終わりが見えないからです。


そして地球は丸い。
月も丸い。
球体の上に住んでいて、
計算に円が必要だという世界にいて
私たちはその数の終わりを知らない。


なぜ。
三角形も四角形も円もあれほど説明ができるのに
肝心な円の面積や円周を出すための鍵が、
そこに在ることはわかっているのに届かない。


私はそういうところがたまらなく不思議で
たまらなく好きなのです。


三角形も四角形も1と2と3の乗算です。
30、60、90、180、360。
そして時計は12時間ないし24時間。
暦は12か月。
還暦は60年。


6は完全数です。
圧倒的に全てが6の倍数である気がします。
その6は1,2,3に帰結します。



世界には数があふれています。
それを数として認識していなくても
数がなにかを形成していることは雪の結晶などでも自明の理です。

わたしという人間を1とカウントし
あなたという人間を1カウントする。

数はもっと抽象的なところで具体的におそらく世界を構築しています。
だれも読み解けない演算で、あらゆる物理が回っています。
しかし地軸が傾いている理由も
日々浮き沈みがある感情の変動も
値ではわからないまま世界を動かしています。


数と言葉の認識は重要だと思っています。
事象を理解する手助けになるからです。


そして数でも表せない言葉にもならないようなものたちが
まさに事象そのものなのだと思っているのです。



自分を素因数分解してみる。
好きと嫌いと喜怒哀楽。
その複雑な演算結果が今日の私。


その値はわたしという変動数。
微分であり、積分であり、虚数を持ち、マイナスのつく絶対数。
可変数であり、割り切れる時があり割り切れない時がある。
過去/未来かもしれないし、現在/現在かもしれない。



そして数などない場所で自分を考えてみる。
好きと嫌いと喜怒哀楽。
その簡単な心抱えた今日の私。


単なるわたしというひと。
文字も値も数も関係なくただそこに転がっている事象の一つ。
時間軸の概念すら細胞以外は忘れていて
今としか面していない。



そんなことを考えながら
今日も△□○を不思議不思議と騒ぎ立てて
一日を24時間で計算して、そろそろ寝る時間というところに終着。



なお、くどいほど書いているが
数学者の式もプログラミング言語も物理学者の式も音楽家の楽譜も
芸術家も哲学者も言語学者も
全て根源は同じところに起因していて、
表現ツールが違うだけなのではないかという気がしている。



そんなところで、ではまた。
あ、リーマン球面もロマンの塊だよ。
平行線のはずが交わってしまった、とか
互いの極地を通り抜ける手段は無限だとか
世界は謎とあらゆる鍵に満ちている。
posted by uamo | 22:43 | 日常 | - | - |
がんじがらめの紐解き
毎日が楽しいと思えること。
うきうきすること。
こんな日々は本当に久しぶりで
嫌なことにも耐えうるだけの心を維持してくれる。


今日は月が大きくきれいで
まるで目玉焼きみたいで。
おいしそうだった。



がんじがらめにしないで
こうすべき、とか、こうであるべき、とか
決めつけてしまわぬよう

じぶんをからめとらずに
その足取りに制限をしてしまわぬよう


それをいましてもいいし、しなくてもいい
その結果が次の自分に返るだけの覚悟で
多分それだけでいい


強くはなれない
けど自分が思いたくて描くほどには弱くもない

すぐには変われない
けどするかしないかの選択は一瞬で覆すことができる




そんな理屈ばかりを考えていたって
どうしても感情は上手く操れないし
自分は上手にはできないから

ゆっくり深呼吸。
誰の速度に合わせる必要もなく
今一度



ささくれだつ気持ちを
抑えられない感情を
なにかいいものに代えたいと必死になって


自分に大丈夫と暗示をかける。
だけど時々大丈夫なんかじゃないと喚きたてる。





大きな月が
なにも責めないしなにも怒ってなんかいない
自分はなにとたたかっているのだろう?


わたしは
この大きな世界の前に
なにとたたかえているつもりになっているのだろう?


ただ空が青いだけでも
風が爽やかなだけでも

泣きたくなるから


美しいと泣きたくなるから

がんじがらめの鎖をほどいて
立ち止まってただ深く息を吐く。





気持ちに拠るものは
どうしても思考ではなかなか解決できないから
自分が心地よいと感じるものに身を投じて


健やかに眠れるよう。

JUGEMテーマ:つぶやき。


posted by uamo | 23:17 | 日常 | - | - |
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